ユーザビリティに必要な当たり前の感性
Journalismを専攻した私。
その授業のうち、教授に言われた忘れられない一言がある。
その一言はユーザビリティに必要なごくごく当たり前の概念だったと思っている。
“自分のおばあちゃんが理解できる文章を書きなさい”
とその教授は言った。
クラス中唯一の外国人生徒である私には、英語で書いている時点でおばあちゃんには読めないな。と思った。
そう思った瞬間、自分がJournalismという私のような普通の能力しか持たない外国人には少々厳しい専攻でも卒業できると感じた。
なぜなら、私は自分が理解できない英語を書くことなんてできないからだ。
ユーザビリティも同じ。
視覚的エフェクトは、単に若者向けのカッコいい見た目を与えるものではない。
きちんと設計さえすれば、何をしたのか?という疑問にすぐに答えられる立派なツールになり得る。
モノに備わった、ヒトが知覚できる「行為の可能性」(アフォーダンス)をきちんと捉えて、利用することが、ユーザビリティの基本概念だと思っている。
使いやすいモノは使われることによって使いやすくなるだけではなく、単に使いやすく生み出されたモノもある。
ウェブの世界でも、使いやすく生み出すモノものが多くなるだろう。
インターネットのアフォーダンスはもはや母でも理解できるようになってきた。
祖母が元気な間にそのアフォーダンスを活用して、祖母にもわかるウェブサイトを生み出していきたい。


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